2025年5月31日には、青山学院大学国際研究センターの研究会で、 この資料に関する内容を発表しました。 下のポスターは、その時のものです。
静江さんのアルバムから、プロジェクト報告へ
――ハイラルの記憶
1930年代の呼倫貝爾・ハイラルについて、少しずつ資料を整理しています。
多民族・多言語の町だったハイラルに残された写真や人びとの記憶を、 公宅静江さんのアルバムを手がかりに読み解いています。
1. アルバムとの出会い
この取り組みの出発点の一つは、私が保管してきた公宅静江さんのアルバムでした。
このアルバムは、私が形見分けとして受け取ったものです。 古いアルバムの中には、1930年代半ばのハイラルで撮影された写真が残されていました。
そこには、寺田利光さんや寺田公邸に関わる人びと、また当時のハイラルに暮らしていた 日本人、モンゴル人、ロシア人、中国人など、 多民族・多言語の町の姿を知る手がかりが写されています。
2. アジア歴史資料センターの記事で紹介されたこと
このアルバムについては、アジア歴史資料センターのニューズレターでも紹介されています。
記事の中では、このアルバムが、私が形見分けとして受け取り、保管していたものであること、 また旧満洲やハイラルを調べる手がかりとして提示されたことが記されています。
古いアルバムは、ただの写真の集まりではありませんでした。 一枚ずつ確認していく中で、1930年代半ばのハイラルの人びとや生活文化、 そして寺田利光さん、寺田公邸に関わる記憶が少しずつ見えてきました。
私にとっても、このアルバムが外部の記事で紹介されたことは、 個人の思い出にとどまっていた写真が、ハイラルの歴史を考える資料として見直される 大きなきっかけになりました。
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3. 津江太陽さんの修士論文作品へ
このアルバムは、津江太陽さんの修士論文 「絵画制作における史料活用の可能性――1冊のアルバムを起点とする制作を通して」 にもつながりました。
論文の中では、このアルバムは「海拉爾アルバム」と呼ばれています。 公宅静江さんが生前に所持していたものであり、私が形見分けとして受け取り、 保管してきた資料であることも記されています。
また、アルバムは24枚48ページの台紙に計78枚の写真が貼られており、 スキャンや写真番号の整理、人物一覧の作成などを通して、 絵画制作のための史料として分析されています。
個人の思い出として残されていた一冊のアルバムが、 アジア歴史資料センターの記事で紹介され、さらに津江太陽さんの修士論文作品へとつながりました。 ひとつの資料が、研究だけでなく、絵画制作という形でも広がっていったことを、 今回あらためて記録しておきたいと思います。
4. 写真から見えてきたハイラル
写真を一枚ずつ見ていくと、ハイラルという町が、軍事や政治だけでは語りきれない、 多民族の人びとが行き交う生活の場でもあったことが見えてきます。
寺田利光さんは、当時のハイラルにおいて重要な位置にいた人物でした。 しかし、アルバムに残された写真から見えてくるのは、軍事史の中の人物像だけではありません。 そこには、寺田公邸を中心に、人びとが出会い、交流し、暮らしていた空間が写されています。
日本人、モンゴル人、ブリヤート人、ロシア人、中国人などが交差するハイラルの姿は、 公的な文書だけでは見えにくい生活文化の記録でもあります。
5. 研究会発表へ
その後、この資料の一部をもとに、2025年5月31日、 青山学院大学国際研究センターの研究会で発表しました。
発表では、公宅静江さんのアルバムや寺田英子さんに関する資料を手がかりに、 1930年代半ばのハイラルの生活文化についてお話ししました。
下のポスターは、その時の研究会ポスターです。
2025年5月31日、青山学院大学国際研究センター研究会での発表ポスター
6. プロジェクト報告として
この発表をもとに、猿橋順子先生とのプロジェクト報告として、 「資料を集める、人と向き合う――『寺田英子・公宅静江資料』を通じて見る1936年のハイラル」 にまとめることができました。
アルバムを資料として貸し出し、写真や記憶を確認しながら整理していく中で、 1930年代半ばのハイラルの生活文化や、人びとのつながりが少しずつ見えてきました。
資料を集めることは、ただ紙や写真を集めることではありません。 そこに写された人、語った人、守ってきた人と向き合うことでもあると感じています。
掲載情報
資料を集める、人と向き合う――「寺田英子・公宅静江資料」を通じて見る1936年のハイラル
著者:バトエワ アリウナ・猿橋順子
掲載誌:Aoyama Journal of International Studies 第13号
掲載ページ:41–54頁
公開日:2026年1月26日
DOI:10.34321/tf02044200
7. これから
```古いアルバムの中に残された一枚一枚の写真から、 1930年代のハイラルに生きた人びとの記憶が少しずつ見えてきます。
これからも、残された資料を大切に整理しながら、 ハイラルの記憶を少しずつ記録していきたいと思います。

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