前回は、公宅静江さんのハイラル時代のアルバムと、それをもとにまとめたプロジェクト報告について書きました。
ただ、私が整理している資料は、静江さんのアルバム一冊だけではありません。
資料には、いくつかの種類があります。
写真資料として、公宅静江さんのハイラル時代の写真アルバム、ブリヤート・モンゴル人ウルジン将軍の通訳を務めた岡本俊雄さんの写真アルバム、戦後のハイラル会に関する写真アルバム、ハイラルへの再訪問記録があります。
文字資料として、寺田英子さんの書簡、岡本俊雄さんと静江さんとの文通資料、思い出の手記があります。
語り・映像資料として、静江さんへのインタビューやビデオ映像なども残されています。
これらは、最初から研究資料として整理されていたものではありませんでした。
それぞれが、個人の記憶、家族の思い出、友人同士の交流、再会の記録、そして語りとして残されてきたものです。
写真・文字・語り・映像
写真には、その時代の人びとの姿や場所が残されています。
手紙や手記には、その人が何を思い、どのように記憶していたのかが残されています。
インタビューや映像には、声、表情、間、語り方までが残されています。
そして、文通資料には、戦前のハイラルで生まれた人間関係が、戦後も途切れずに続いていたことが残されています。
一つひとつは小さな記録に見えるかもしれません。
しかし、それらを重ねて読んでいくと、1930年代のハイラル、戦後の再会、ハイラル会のつながり、そして記憶を守ろうとした人びとの姿が少しずつ見えてきます。
資料を重ねて読むこと
一枚の写真に写る人物が、別の手紙の中に名前として現れることがあります。
ある手記に書かれた地名が、別のアルバムの写真と重なることがあります。
インタビューの中で語られた思い出が、映像や写真によってもう一度確認できることもあります。
また、岡本俊雄さんの写真アルバムや書簡、静江さんとの文通をたどることで、ハイラルで出会った人びとのつながりが、戦後の日本においても続いていたことが見えてきます。
資料を整理する作業は、単に写真や手紙を並べることではありません。
誰が写っているのか。
誰が語っているのか。
誰が書いたのか。
どの場所の記録なのか。
どの時期の記録なのか。
戦前のハイラルと、戦後の再訪問や回想がどのようにつながっているのか。
そうしたことを、一つずつ確認していく作業です。
資料群として見えてきたもの
このような資料は、放っておけば、単なる古い写真や手紙、古い映像として残るだけかもしれません。
しかし、人名、場所、年代、関係者の記憶を重ねて整理していくことで、少しずつハイラルの記憶を伝える資料群として見えてきました。
私は、この過程を自分自身の記録として残しておきたいと思っています。
資料がどこから来たのか。
誰が守ってきたのか。
どのように読まれ、聞かれ、整理され、研究会発表やプロジェクト報告につながっていったのか。
その道筋もまた、資料の一部だと思うからです。
忘れられないために
これは、誰かを責めるための記録ではありません。
資料の来歴を曖昧にしないための記録です。
もし私が記録しなければ、この資料がどこから来て、誰が守り、どのように整理され、どのように研究の場に出ていったのか、その過程は見えにくくなってしまうかもしれません。
そして、時間が経てば、曖昧なまま忘れられてしまうかもしれません。
だからこそ、私はこの道筋を、自分の言葉で残しておきたいと思っています。
これからも少しずつ
公宅静江さんのアルバム、寺田英子さんの書簡、岡本俊雄さんの写真アルバムや書簡、岡本俊雄さんと静江さんとの文通資料、戦後のハイラル会の写真、再訪問の記録、思い出の手記、インタビュー、映像。
これらを少しずつ照らし合わせながら、ハイラルに生きた人びとの記憶を、これからも丁寧に整理していきたいと思っています。

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