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『星の草原に帰らん』の世界

以下の文章は、ノタックの生徒である藤田景子さんが2018年に書かれた 『星の草原に帰らん』 の紹介文をもとに、 ノタック通信2018年4月号 に掲載したものです。 今回、記録として読みやすい形に整え、再掲載します。

ノタック通信 2018年4月号より

朝ドラ原作になりそうなモンゴル女性の人生記
――『星の草原に帰らん』を読む

モンゴルをテーマにした本には、男性的な冒険記や学術書、あるいは絵本が多い印象があります。 その中で、やわらかく読めて、とても心に残る一冊がありました。

1999年に出版された 『星の草原に帰らん』。 著者は B・ツェベクマ さん、構成・翻訳は 鯉渕信一 さん、出版は NHK出版 です。

一言でいえば、先の大戦に前後する時代を、波乱万丈の人生の中で、 信念をもって生き抜いたモンゴル女性の一代記です。 そのまま朝の連続テレビ小説の原作になりそうな物語、と言ってもよいかもしれません。

ブリヤートの少女として

ツェベクマさんは、モンゴル民族の中でもブリヤート族の女性です。 バイカル湖の東、シベリアの南端、現在のロシア連邦チタ州郊外の村で、 1924年に生まれたそうです。

そして、少し種を明かせば、私のモンゴル語の先生のご親族でもあります。

旧ソ連からの政治的・経済的な圧迫を避ける父母に連れられ、 ツェベクマさんは子どもの頃、現在の内モンゴル・ホロンバイル草原へ移りました。 困難な家庭環境の中でも、彼女には強い向学心がありました。

その気持ちを伸ばそうとした母の思いによって、 13歳の時、高塚繁先生という日本人女性がハイラルで開いていた私学校に通うことになります。

高塚先生との出会い

高塚先生は、将来モンゴルの少女たちが日本で高等教育を受ける可能性を開くため、 日本語や日本文化を教えていました。

少女たちを自宅に寄宿させ、日本語だけでなく、掃除や料理、 日本風の行儀作法、清潔感という生活文化まで、厳しく、そして熱心に指導したそうです。

モンゴル人として生きるんですよ。
モンゴルのために日本語を学ぶのです。

高塚先生が少女たちに伝えたこの言葉には、 単なる語学教育を超えた、深い思いが込められています。 師弟の間には、強い心の絆がありました。

しかし、ソ連軍の侵攻の日が訪れ、高塚学校は閉鎖されます。 のちに高塚先生は、日本の土を踏むことなく、帰国の道半ばで亡くなったことが分かります。

戦後、そして文化大革命の時代へ

戦後、ツェベクマさんは中国の内モンゴルで職業婦人として自活していきます。 しかし、日本語の教育を受けたことによって、 文化大革命の時代には当局に目をつけられることになります。

過酷な状況に置かれながらも、ツェベクマさんは、 日本を、そして高塚先生を否定することはできませんでした。

夫となったブリンサインさんが、戦前に日本留学の経験を持つ学者だったことも、 彼女の思いを支える背景にあったのかもしれません。

自分の人生を形作った日本の教育。
それを与えてくれた両親と高塚先生。
その価値は、誰が何と言っても変わらない。

その揺るぎない思いが、ツェベクマさんのその後の人生を切り開く力になっていきます。

モンゴル人民共和国へ

文革の嵐から子どもを守るため、ツェベクマさんは 「モンゴル人のための国で生きたい」と願い、 夫とも生き別れになる覚悟で中国を脱出します。

親類もいない、当時のモンゴル人民共和国へ移り住むことを決断したのです。

一時は、どの国のパスポートも持たないような状況になりながらも、 身につけた日本語を活かし、国営ホテルだったウランバートルホテルで働くことができました。

この、要約してもしきれない波乱万丈さ。

冷静で、温かいまなざし

戦争やイデオロギーの嵐に振り回されながらも、 ツェベクマさんは、自分の目で見て、感じて、大切にし続けた考えがありました。

日本人にも、モンゴル人にも、中国人にも、
よかったこともあれば、悪かったところもある。

この冷静で、温かく、良識ある考え方は、 多様な人が混じり合って生きる今の時代にこそ、 とても大切なもののように感じます。

本の後に続く物語

さて、この本のツェベクマさんの物語は、 ウランバートルホテルを引退したところで終わります。 けれど、私はその後の物語も少し知っています。

晩年、ツェベクマさんはウランバートルに近い保養地テレルジに、 ブリヤート風の木の小屋を建てて暮らしました。

現在、そこでは親族の方がツーリストキャンプを運営しており、 ゲルや木のキャビンに泊まることができます。

高塚先生の教育が、どこかで受け継がれているのでしょうか。 そこはとても清潔で、食事も日本人にとって食べやすく、おいしい場所です。

『星の草原に帰らん』 は、ひとりの女性の人生記であると同時に、 ブリヤート・モンゴル人の近現代史、日本語教育の記憶、 そして民族として生きることの意味を考えさせてくれる一冊です。

初出資料:モンゴル語教室ノタック通信 2018年4月号
参考:『星の草原に帰らん』B・ツェベクマ著/鯉渕信一 構成・翻訳/NHK出版、1999年

文章:藤田景子さん
初出:藤田景子さんブログ記事より
再掲:モンゴル語教室ノタック通信 2018年4月号
今回、記録として読みやすい形に整えて再掲載しました。
参考:『星の草原に帰らん』B・ツェベクマ著/鯉渕信一 構成・翻訳/NHK出版、1999年