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**静江アルバムの少女 ――星が足元から登る草原の夜、下駄を履くように馬に乗る子どもたち**

Shizue Album

静江アルバムの少女

星が足元から登る草原の夜、
下駄を履くように馬に乗る子どもたち

1936年夏、ハイラル郊外のオボー祭りの記憶。
公宅静江さんのアルバムと、草原で生きた人びとの暮らしをたどります。

この一枚は、公宅静江さんの思い出のアルバムに残された写真です。

草原の中に立つ一人の少女。
そばにはゲルがあり、遠くには草原と空が広がっています。少女はまっすぐこちらを見ています。

笑っているわけではありません。けれど、その表情には、幼さの中にも不思議な強さがあります。

この写真は、1936年夏、ハイラル郊外で行われたオボー祭りの時に撮られたものと思われます。

オボー祭りは、モンゴル系の人びとにとって大切な祭礼です。土地や山、水、祖先、自然の恵みに祈り、家族や家畜の無事を願う日です。大人たちだけでなく、子どもたちも家族と一緒に草原へ集まりました。

この少女も、もしかしたら家族とともに、馬に乗ってこの祭りに来た一人だったのかもしれません。

「草原の星は、足元から登ってくるようだった」
「子どもたちは、下駄を履くように馬に乗っていた」

公宅静江さんは、1930年代半ばにハイラルで暮らしました。その時の思い出を、後年、私に懐かしそうに話してくれたことがあります。

静江さんがとても印象深く語っていたのは、草原のゲルに泊まった夜のことでした。

夜になると、空いっぱいに星が広がり、まるで星が足元から登っていくように見えたそうです。

日本で見る夜空とはまったく違う草原の夜。地平線が遠くまで開けているからこそ、星は空の上だけではなく、足元の草原の向こうからも現れるように感じられたのでしょう。

私はその話を聞いた時、草原の夜空が目の前に広がるような気がしました。

もう一つ、静江さんが驚いていたことがあります。

それは、草原の子どもたちが馬に乗る姿でした。

静江さんは、子どもたちがまるで下駄を履くように、簡単に馬に乗って走っていたと話してくれました。

この表現が、私はずっと忘れられません。

「下駄を履くように馬に乗る」――なんて見事な表現でしょう。

日本の子どもが下駄を履いて外へ出るように、草原の子どもたちは馬に乗って出かける。馬は特別な乗り物ではなく、暮らしの中に自然にあるものでした。草原の子どもたちにとって、馬は足であり、遊びであり、生活そのものだったのでしょう。

この写真の少女を見るたびに、私は静江さんのその言葉を思い出します。

不思議なことに、今のノタック教室に来ている日本人生徒さんたちの中にも、モンゴルの草原で馬に乗って走るのが大好きだと話す人がいます。

ヨウコさんも、マユミさんも、草原で馬に乗る楽しさを目を輝かせて話してくれました。

1930年代に静江さんが見た、馬に乗る草原の子どもたち。そして現代の日本人生徒さんたちが、モンゴルの草原で感じる馬に乗る喜び。

時代も、立場も、言葉も違います。けれど、草原と馬の記憶がどこかで重なっているように感じられて、私は少し不思議に思い、思わず笑ってしまいました。

この少女の名前は、まだ分かりません。どこの家の子だったのか、どんな人生を歩んだのかも分かりません。

けれど、この一枚の写真は、ただの古い写真ではありません。

そこには、1936年夏の草原の空気があります。オボー祭りに集まった人びとの気配があります。馬に乗って走る子どもたちの姿があります。そして、星が足元から登るように見えた、静江さんの草原の夜の記憶があります。

公宅静江さんのアルバムは、個人の思い出であると同時に、ハイラルの生活文化を伝える大切な記録でもあります。

歴史は、大きな事件や政治だけでできているのではありません。一人の少女のまなざし、草原のゲル、馬に乗る子どもたち、夜空の星。そうした小さな記憶の中にも、確かに歴史は生きています。

この少女の写真を見つめながら、私は静江さんの声をもう一度聞いているような気がします。

「草原の星は、足元から登ってくるようだった」
「子どもたちは、下駄を履くように馬に乗っていた」

その言葉とともに、この一枚を大切に残しておきたいと思います。

※この文章は、公宅静江さんのアルバム写真と、静江さんから聞いた思い出をもとに記録したものです。1936年夏のハイラル郊外のオボー祭りに関する資料整理の一部として書きました。

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