母の時代の子どもたちは、どんな本を読んでいたのか
——モンゴル文字児童雑誌『花蕾』から考える児童文学とモンゴル語教育
母の学校時代の話を聞いているうちに、私はふと考えるようになりました。
あの時代の子どもたちは、どんな本を読んで育ったのだろう。
教室ではどんな教科書を使い、休み時間や家ではどんな物語や詩に触れていたのでしょうか。 草原、家畜、学校、家族、故郷――そうした言葉を、子どもたちはどのような蒙古文で読んでいたのでしょうか。
ノタック資料室の『花蕾』
ノタック資料室には、内モンゴルで刊行されてきた蒙古文児童雑誌 『花蕾』 の合本があります。 現在確認できるものには、1981年頃の合本のほか、 1998年、1999年、2000年、2005年、2006年、2007年の1〜12号合本があります。
表紙には金色のモンゴル文字のタイトルと花の模様が入り、青、緑、赤、灰色など、 年によって表紙の色も少しずつ違います。 並べてみると、内モンゴルの子どもたちが読んできた蒙古文の世界が、 本棚の上に静かに残されているように感じます。
母の時代と蕾をどうつなげるか
母ドルジハンダが中学・高校時代を過ごしたのは、主に1950年代のハイラルでした。 そのため、現在手元にある『花蕾』合本が、母が実際に読んだ本そのものだとは言えません。
しかし、『花蕾』は1957年に創刊されたモンゴル文児童雑誌とされ、 内モンゴルの子どもたちの読書文化、児童文学、母語教育を考えるうえで、 とても重要な資料です。
つまり、この雑誌を読むことは、母の時代そのものを直接見ることではありません。 けれども、1950年代以降、内モンゴルの子どもたちがどのような蒙古文に触れ、 どのような物語や詩を読んで育ってきたのかを考える、大切な手がかりになります。
子どもの読み物を読むことは、ひとつの言語がどのように次の世代へ手渡されてきたのかを知ることでもあります。
児童文学は、子どものためだけの文学ではない
児童文学には、やさしい語彙、短い文、リズムのある表現、 身近な生活の場面がたくさん含まれています。 家族、学校、友だち、動物、草原、季節、故郷。 そうした言葉の中で、子どもたちは世界を理解していきます。
だから児童文学は、ただ「子ども向けの読み物」ではありません。 子どもが母語を身につけ、文化を受け取り、想像力を育てる場所でもあります。
モンゴル語教育の視点から見ても、児童文学はとても大切です。 文法や単語を覚えるだけでは、言葉はなかなか生きてきません。 物語や詩を読むことで、言葉の後ろにある生活、感情、文化が見えてきます。
縦書きモンゴル文字を読む入口として
『花蕾』の大きな特徴は、縦書き蒙古文で書かれていることです。 日本でモンゴル語を学ぶ人にとって、縦書き蒙古文は少し遠く感じられるかもしれません。 けれども、児童雑誌の短い文章や挿絵つきのページは、文字文化に触れる入口としてとても魅力的です。
難しい歴史文献をいきなり読むのではなく、子ども向けの詩や物語から始める。 そうすると、蒙古文は「古い文字」ではなく、子どもたちが実際に読んできた生きた文字として見えてきます。
母の記憶と、残された本
私が知りたいのは、ただ本の題名だけではありません。 母の時代の子どもたちが、どんな言葉に出会い、どんな文章を声に出して読み、 どんな物語を心に残していたのかということです。
学校には図書室があったのか。 教科書以外の本を読む時間はあったのか。 詩を暗唱したのか。 先生が物語を読んでくれたのか。 友だち同士で本を貸し借りしたのか。
母の記憶と、資料室に残る本を並べてみることで、 1950年代以降の内モンゴルの子どもたちの読書世界が、 少しずつ見えてくるかもしれません。
これから少しずつ紹介していきます
これからノタック資料室では、『花蕾』の表紙、目次、挿絵、作品の内容を少しずつ紹介していきたいと思います。 そこから、モンゴルの児童文学、モンゴル語教育、母語の継承、そして子どもたちの読書文化について考えていきます。
本棚で長く眠っていた『花蕾』ですが、ページを開くと、まだまだたくさんの声が聞こえてきそうです。 子どもたちのために作られた小さな雑誌の中には、言葉を次の世代へ手渡そうとした人々の思いが詰まっています。
母の時代の子どもたちは、どんな本を読んでいたのか。
その問いを大切にしながら、これから一冊ずつページを開いていきたいと思います。
※この記事は、ノタック資料室所蔵のモンゴル文字文児童雑誌『花蕾』合本をもとにした資料紹介です。 年代や刊行情報については、今後、奥付・目次・関連資料を確認しながら少しずつ整理していきます。

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